おとといラジオ出させて頂いた時、パーソナリティーに、
彼はねぇー、クソ坊主なんですよー。
と冒頭言われて、おいこのおっさんまじかよwと思った。僕の何を知っている?
家族や檀家さんも聞いてんのにそりゃねーだろ。。。
彼と会うのは前回の出演とで2回目で、まぁまぁそんなこと言われる筋合いはねぇ。
理由は①格好(オシャレといわれた)や、②やってること(音楽)が坊主らしくないから
というとこらしい。
そこで、クソ坊主ってどんな坊主なのか、境内の雪かきをしながら考えてみた。
現代日本の坊主、仏教界はとてもフレキシブルで、
他の仏教国があんぐりするほどであるという。
(ちなみに、「坊主」と呼ばれるのは、会社員をリーマンと呼ぶのに似たニュアンスであるから、呼ぶときは和尚さんとか、お坊さん、僧侶と呼ぶと失礼がない。
坊主と呼ぶ際はそのことを注意して頂きたい。)
戒律があるとはいっても、その解釈の仕方がゆるく、
ほとんど一般の方々と同じような生活をしている。
坊主はかくあるべきだ、という一般認識からすると
日本のだいたいの坊主がクソ坊主である。
そんな中、①②の理由でクソ坊主と呼ばれたことに関して
①格好について
我々の宗門には、「威儀即仏法 作法是宗旨」という言葉がある。
身なりを整えることは即ち仏の教えであり、
作法に従ってつとめることは即ち宗門の教えである
て感じだと思う。
永平寺で修行してた時よく聞いた言葉である。もちろん身なりとは法衣を指すが、
日本人で娑婆服(私服)は一切着ない!というポリシーを持つ和尚はいることはいるが、
だいたいの坊主は法務、檀務以外で出歩くときは娑婆服に着替える。
その娑婆服は、だらしないよりもきれいに見えた方がいい。当たり前のことだ。
もっと言うと、
釈尊は、捨てられた、あるいは汚物を拭ったような布を洗い、つなぎ合わせて
それで身を包みなさいと言った。
それが袈裟(糞掃衣)の始まりである。
僕は別にファッション意識が高いわけではなく、
だいたい古着屋かリサイクルショップで買う。
それは人々の執着を離れた衣類であるからだ。
これは釈尊の教えと合致する笑(勝手な解釈)。
以上、この理由からクソ坊主と言われる筋合いはない。
②音楽について
元来、宗教と音楽は密接に関係している。
お経やご詠歌、声明といったものは仏教音楽であり、
そもそも坊主は音楽家としての側面がある。
それらが派生して日本の音楽、芸能にもたらした影響はかなりデカいと思う。
盆踊りやなんかもそうだし、
日本のその時代にとってクリエイティブな文化は寺や遊行僧侶から発生したものも多い。
僕がやる音楽は、必ずしも仏道に沿ったものではないけれども、
坊主が音楽をやってはいけないという理由はない。
よって、クソ坊主と言われる筋合いは無い!!!!
That's ALL!!
とはいえ、
かくいう自身もクソ坊主であると思う所はもちろんある。
そこを突いてクソ坊主と言われたら、なにも言い返せないし、改善しなければと思う。
人を批判するときは、
その人やその人のバックグラウンドをよく知った上でするべきだと思うし、
その批判がその人の為になることを願ってするべきである。
それが慈悲ある批判ですよね!
今日は檀家総代さんたちとの新年会。
大いに酒を呑みたいと思う。
追記
ちなみに、全然怒っていません!
いつもお世話になっています!!
英心 high
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